コロナ禍の結婚式
今日、私が勤める小学校の教職員の結婚式(挙式&披露宴)がありました。
結婚式の披露宴に招待されたのは、8~10年振りくらいです。
その職員は、30代前半の若い男性職員です。
奥様も教員で、離島の小学校で一緒に初任だったそうです。
そこで知り合って、2人共に本島の小学校に異動になったそうです。
3年前に入籍を済ませているそうですが
コロナ禍で、3度も結婚式を延期したそうです。
今日できなかったら、結婚式を諦めようと思っていたそうなので
今日、結婚式を挙げることができて、本当に良かったなと思います。
コロナ禍の結婚式ということもあり、いろいろ簡素化されていたり
制限があり、声を出すことなどは、控えないといけない状況です。
余興も、以前のように盛り上がりは少ないですが
やっぱり、沖縄の結婚式(披露宴)は楽しくていいなと思いました。
と言うのも、30年前、私の直ぐ下の弟の結婚式が大阪でしたが
余興がカラオケだけで寂しかったです。
私が、20歳前後に乙姫劇団にいて、少し琉球舞踊を習っていたこともあり
琉球舞踊を踊りました。ちゃんと沖縄かんぷー(髪型)をして
琉球舞踊の衣装を着て、本格的に踊りました。
その時、琉球舞踊が珍しいということもあり、みんなが釘付けだったそうです。
私は、緊張してしていたのと、踊るので精一杯だったので気づきませんでしたが。
沖縄の結婚式は、どこの結婚式に参加しても、余興がおもしろくて
新郎新婦がお色直ししてる間、退屈しません。
そして、司会は「アイモコ」のモコさんで、長崎出身なのにうちなーぐち(方言)が
とても上手で、楽しくて素敵な司会でした。
- アイロウ(夫) 1975年生まれ。那覇市出身。
- モコ(妻) 1975年生まれ。長崎県壱岐出身。(ウィキペディアより引用)
今日の結婚式では、新郎新婦自ら、かぎやで風(琉球舞踊)を踊っての開幕でした。
かぎやで風(琉球舞踊)は、私も何度か踊ったことがありますが
通常は、身内が踊ることが多いです。
それを忙しい年度末に、新郎新婦は合間に練習したそうです。
この話も聞いて、とても感動しました。
今日の挙式では、タキシードとウエディングドレスを着て
披露宴は、お色直しも琉装でした。
驚くことに、新婦はお色直しの合間に、髪の毛をショートヘアにしていました。
かぎやで風を踊るために髪を伸ばしていて、踊った直後に髪を切るなんて
初めての出来事で驚きました。ショートヘアが好きなようです。
3年間いろいろあったと思いますが
本当に今日、結婚式を挙げることができて良かったです。
今日は、3校の職員が招待せれていました。
男性職員の勤める小学校の職員(一部は不参加でした)
奥様の勤める小学校の職員と、2人の初任校の離島の小学校。
参加している人ほとんどが教員でした。
「〇〇先生、〇〇さん、ご結婚おめでとうございます。
今日結婚式ができて、本当に良かったですね。末永くお幸せに」
奥様は近隣小学校の教員
今日、披露宴会場に着いて、初めて知ったのですが
なんと、奥様は、私が10年前にPTA事務(子どもが通っていた小学校)をしていた
小学校の現役の教職員だそうです。(8年前に統合して、小学校名は変わりました)
しかも、近隣小学校です。なので、親近感が湧きます。
それに、数名知り合いの職員もいて、久しぶりに会うことができました。
その小学校の校長先生(女性)は、うちの二男の小学1年生の担任の先生でした。
そしてまた、その小学校の直ぐ前に、30年ほど前に学童保育があって
私が26~27歳頃、そこの学童で指導員をしていたことがありました。
その時に、預かっていた当時小学3年生の女の子(現在42歳の女性)も
結婚式に呼ばれていました。
新婦がおそば屋さんで、アルバイトしていた時に知り合ったそうです。
その女性とは、32年振りに会いました。
披露宴の最中にお手洗いに行きたくなって、ロビーに出て場所を探していると
その女性もお手洗いの場所を探しているようだったので
私が、声をかけて一緒に探しました。
その時、どこかで会ったことがある気がしたので
「もしかして、〇〇学童にいなかった?」尋ねました。
そしたら、「はい、いました。〇〇です」と答えていました。
32年間全く会ったこともなく、マスクをしてるのにもかかわらず
私は、直感で直ぐにわかりました。このことも、とても不思議です。
私や子どもたちに取って、ゆかりのある人とたくさん会うことができました。
これは、何を意味してるのでしょうか。本当に不思議な出来事でした。
では、本日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。感謝いたします。
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