勇気を出して手放した

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ヒヌカンを持ったきっかけ

私は、ミニマリストを目指して、これまでいろいろなものを手放しました。

特に、昨年2020年の1月に、大好きなテレビを手放した時から

拍車がかかりました。

テレビ・ヒヌカン(沖縄の神棚)・私の小学校・中学校・高校の卒業アルバムです。

この3つは、手放した中で、とても大きなものでした。

そして、勇気がいりました。

特にヒヌカンです。

ヒヌカンとは、沖縄県や鹿児島県奄美群島で信仰される火の神。                     

ヒヌカンは、世帯のあらゆることを司る家庭の守護神として信仰され                 古くはかまどの後ろに3個の石として祀られたが                          現在は、台所の一角に香炉、水、塩、生花を供えて祀るのが一般的である。

祭祀は、もっぱらその家の主婦が行い、何か願いごとがあれば最初にヒヌカンを拝むほか家族の誕生、入学、結婚、離婚、死亡などの重要事項もすべて報告し、旧暦各月の1日と15日には、定期的に飯、酒、花、水、線香を供える。

ヒヌカンは、旧暦12月24日には昇天し、家族の良いことと悪いことすべてを天の神に報告し、また年明けの1月4日には家に戻ってくると信じられている。

また、分家する際は本家のヒヌカンの灰を分けて新たにヒヌカンを仕立てる。             ( ウィキペディアより引用)

沖縄では、台所にヒヌカンをお祀りして、旧暦の1日と15日に

ご飯・酒・水・線香・塩・チャー木をお供えして、拝みます。

最初にお祀りする時は、ユタ(沖縄の霊能者)にお願いをして、仕立てていただきます。

その前に、ゆかりのある拝所を一緒に回ります。

私は、もともとヒヌカンを持っていなかったのですが

次男が、中学1年生の時に「学校に幽霊が出るから、行かない」と言っていたこともあり

学校を休んでいるのに、夜になると出歩くといったことが、毎日のようにありました。

違う中学校の先輩の家に泊まりに行ったりして、その先輩の家がどこなのかわからず

車も持っていなかったので、探すのも難しい状態でした。

末っ子が、幼稚園で、長女と二男は高校生で、部活やバイトで不在で

長男は、一緒に住んでいなかったので、末っ子を置いて探しに行くのも大変で

毎日、心配する日々を過ごしていました。その時は、本当に大変でした。

そんな時に、小学校の時にお世話になった、野球部の監督の奥さんの叔父さんが

ユタとうことで、紹介してもらいました。

言い方は悪いのですが、ユタにも本物と偽物がいらっしゃるようです。

この方は、本物だと思ったので、次男のことを相談しました。

監督の奥さんに、ユタさんの家に連れていだいて、会った途端に

言っていることが当たっていて、力になってくださると聞いて

とても救われました。

そのユタさんの家から、次男に電話をかけて、自宅に戻るように話すと

いつもなら帰って来なかったのですが、その日はすんなりと帰ると言って、帰ってきました。

あとで、わかったのですがユタさんと次男は、私の電話を通して交信していたそうです。

それから数日後に、ユタさんと次男を監督の家で合わせました。

2人で、いろいろ話していました。

ユタさんの勧めで、私はヒヌカンを持った方がいいと言われ

ヒヌカンを持つことになりました。

(※ヒヌカンを、必ず持たないといけない、というわけではなく、持たない人もいます)

ヒヌカンの手放し

次男が、中学1年生の時からヒヌカンを持って、毎朝お水をかえて

毎月旧暦の1日と15日に朝に、お供え物をお供えして、拝むことを15年間

体調不良であっても、どんな時でも欠かさずやっていました。

仕事の時は、朝早く起きて、仕事に行く前にやっていました。

本を見ながら、やっていました。

旧暦の12月24日は、ヒヌカンが天に昇るという、特別な拝み方があります。

その前には、屋敷拝みと言って、家の外と、中の東西南北や

台所や、トイレや、入り口に向かって

拝みのセットのウチャヌク(御餅)・果物・塩・酒・洗った米・洗ってない米

線香・習字紙を持って拝みます。

方言もわからず、本を見ながらするので、とても難しかったです。

ちゃんと、できていなかったかもしれませんが

見よう見まねで、私なりに一生懸命やりました。

子どものためだから、頑張れました。

15年間やっていたヒヌカンですが

もしかして、私が県外に行く可能性もあるかもしれないと思った時に

県外で、ヒヌカンを拝むことはできるだろうかと、疑問を持ち始めました。

ウチャヌクやチャー木など、沖縄では普通にスーパーで

その時期になれば、買うことができますが

県外では無理だと思い、その時に手放すことが

できないだろうかと、思うようになりました。

正直、神様には、とても無礼だと承知していますが

とても苦痛に思うようになりました。

本当は、罰が当たらないかと、とても不安でした。

怖くて、お世話になったユタさんにも、相談できませんでした。

未だに、報告もしていません。

察していらしゃるかもしれませんが

その代わり、次男に相談しました。

次男が、ヒヌカンを手放すことを賛成してくれたので

思い切って、感謝して手放しました。

とても、清々しい思いでした。

今思えば、神様が罰を与えることはしないし

苦痛だと思いながら拝む方が、とても失礼だと思います。

物理的にヒヌカンを手放しましたが、心の中では、いつも感謝しています。

今は、それで良かったと思います。

私の中で、一番大きな手放しでした。

では、本日もお読みいただき、ありがとうございました。感謝いたします。

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