二男が産まれる時
今から32年前、二男が産まれた時の出来事です。
二男は兄弟5人の中で一番大きくて、産まれた時の体重が3,500グラムでした。
産まれる1日か2日くらい前に、おしるしがありましたが
なかなか、陣痛が来る気配がありませんでした。
私は、どうしても自然分娩で産みたいと思いました。
そして、主治医に相談して、早めに入院することになりました。
長男も長女も、まだ幼かったので母に預けて、病院に向かいました。
夜の8時くらいだったと思いますが、その日はたまたま
元夫も義理の父も帰りが遅くて、タクシーで向かいました。
そして、私は驚く行動に出ました。
病院に向かう時、歩ける所まで歩いて途中からタクシーに乗りました。
そしたら、病院についた頃に陣痛が来ました。
ギリギリでしたが、私は「よっしゃー!来た」と思いました。
私は、この時、何の根拠もありませんが「絶対に大丈夫!!」と
自分自身と、お腹の子を信じていました。
上の2人と違って、頭も大きかったので吸引して産まれました。
そして、夜中の12時過ぎに産まれました。
ちょっときつかったですが、もちろん安産でした。
私は体は小さいですが、どうも安産が得意のようです。
5人中、1番目の長男、3番目の二男、5番目の末っ子の時は
人が聞いたらビックリする、ちょっとしたドラマがありますが
2番目の長女の時と、4番目の次男の時は、普通でした。
私は今でも、5人が産まれた時のことや、時間、身長、体重などを憶えています。
とても細かいことは憶えていませんが・・・
何故かわかりませんが、ずっと記憶しています。
二男は国体に選ばれていた
二男は、高校の時3年間ソフトボールをしていました。
二男が通っていた高校は、野球もソフトボールも強い高校で
県外への遠征も、年に何度かありました。
当時はまだ、二男は二女でしたが
同じソフトボール部の友だちも二男と同じ、性同一性障害の子がいたようです。
それも、仲の良い友だちに2人ともでした。
その時は、まだ何も知らず(二男のことを知るまでは)
ソフトボール部全員、真っ黒に日焼けしていて、短髪だったので
ただのボーイッシュな女の子だと思っていました。(関連記事👉我が家は二男が2人 #5)
1人の友だちは、既に結婚しているそうです。もちろん、相手は女性です。
二男は高校3年生の時、ソフトボールで国体選手に選ばれていました。
私は嬉しかったので、もちろん、二男も嬉しいのだと思っていました。
でも、辞退したいと言っていました。
その時は、こんなことは、滅多にないことだと思ったので
もったいないと思い、不思議でしたが
これは、母親の私が決めることではない
本人が決めることだと、自分に言い聞かせ、本人の意向に任せました。
後で聞いたら、その頃が一番、性のことで悩んでいたらしいのです。
そのことがなかったら、きっと国体に出ていたと思います。
二男は今まで、たくさんの決断をしてきました。
簡単なことではなかったと思います。とても、辛かったと思います。
でも、今は自分らしく生きていると思います。
そんな二男ですが、今日で32歳になりました。
健康で、いつもニコニコ笑顔でいてくれて嬉しいです。
そして、お付き合いしている彼女は、いつも二男を支えてくれて
ありがたいです。本当に感謝しています。
去年の年末に3人で食事をしましたが、京都の女性で(関連記事👉二男の彼女との顔合わせ #48)
その時、私に「こひろはん」と呼んでいました。
京都の人は、人を呼ぶ時、〇〇さんを〇〇はん、と呼ぶそうで
何か、良いな~と思いました。
私は、京都も京都の人も大好きです。
では、本日もお読みいただき、ありがとうございました。感謝いたします。
コメント
素敵なお話ですね(*^▽^*)
二男さんも小宙さんも幸せそうで何よりです♫
またブログ更新されるのを楽しみにしています!
レインボーさん
コメントありがとうございます。