家族思いの長男

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長男に一番苦労させた

元夫と生活している頃は、特に長男には苦労させました。

長男が小学校の時に、野球部に入っていて、水曜日以外は

毎日、練習がありました。

その頃、電気・ガス・水道が切られることが、時々ありました。

市内の小学校の中では、割と強いチームで

長男は、ピッチャー&4番バッターでした。

毎週のように練習試合があって、大会前は帰りが遅く、夜の7時頃の帰宅でした。

校外10周ぐらいだったと思いますが、ランニングも毎日

よくそんなに頑張れるなと感心するくらい、みんな頑張っていました。

そんな時、疲れて帰って来て、電気がついていないことがあったので

申し訳なくて、申し訳なくて、私も辛かったです。

中学2年の時に、少年野球のコーチたちが

「中学校の野球部は弱い。監督が、サインも知らない。

今まで、教えたことが活かせない」

と言って、長男が中学2年の時に、新しくポニーを作ってくれて

少しずつ、強いチームに成長していきました。

(※中学校は先生が顧問です。見てくれるだけでもありがたいですが)

そのかいあって、高校の監督からポニーへ「誰か良い選手はいるか」と

ポニーの監督に話があって、高校には野球推薦で行きました。

全国から入ってくるので、部員が100人以上いました。

北海道から来た子もいて、その子たちは寮に入っていました。

うちは、当時、離婚をした直後で、生活保護を受け始めたばかりでした。

交通費は、保護費の中に入っていなかったので、支給されず

朝4時半頃起きて、弁当を持たせ、車がなかったので

友達の家まで、自転車で行き、そこからバスで通っていました。

県内の他の子たちは、毎日、親が車で送迎していました。

朝早く起きて、自転車とバスで通い、遅くまで練習だったので

とてもきつかったと思います。

私もフルタイムで仕事をしていて、末っ子が生後2カ月頃の時でした。

長男が帰ったら直ぐに、白いユニフォームを洗濯しました。

赤土の汚れを、完全に落とさないと行けなかったので、大変でした。

本当なら、自分で洗濯をさせるところですが

親として、私がしてあげられることは、毎日のお弁当作りと洗濯くらいです。

練習も、選手をふるいにかけるためなので、余計にきつい練習だったと思います。

その上、先輩との関係など、いろいろあります。

先輩に気に入られると、やりやすかったりするそうですが

長男には、そんな先輩がいなかったようです。

県外から来て、寮に入った同級生は、寮から逃げ出したという話も聞きました。

うちの長男も、これ以上は無理だと思ったのでしょう。

野球部をやめ、高校も中退しました。

私が、親として力不足だったので、可哀そうなことをしたと

悔やんでも悔やみきれない、思いでした。

親バカですが、長男はプロ野球選手になるものだと、思っていましたから。

そんな簡単じゃないのはよくわかっていますが、希望を持っていました。(笑)

年をごまかして仕事

そんな長男が、友だちと県外に行ったのですが

行った所が、あまり良い所ではなかったようで

そこから、東京の私の弟に頼んで、一緒に仕事を探してもらって

寮付きのパチンコ屋さんで、年をごまかして1年くらい働いていました。

早生まれただったので、まだ16歳でした。

本当に、ありえないですよね。

その時、給料は良かったようで、一年間毎月5万円の仕送りをしてくれました。

当時、二男と次男の2人が、小学校の野球部に入っていて

県外に遠征に行くことがあったり、結構お金がかかりました。

チームのお揃いのジャンバーを購入する時も、長男が買ってくれました。

妹や弟に、不自由をさせたくない気持ちが強かったようです。

いろいろ父親代わりのようにやってくれました。

その時に、長男が「俺でもできるのに、お父はなんでできないのかな」

と言っていました。

その時はまだ、元夫を許せてない時だったので

子どもに苦労させていると、物凄く憎みました。(関連記事👉許すと幸せになる

本当に、長男に感謝です。

では、本日もお読みいただき、ありがとうございました。感謝いたします。

コメント

  1. やんばる より:

    とても頑張りやで家族思いの長男さんに感動しました。ぷちひろさんが愛情深く育てたから子ども達が立派に育っているのですね。

  2. 小宙(こひろ) 小宙(こひろ) より:

    やんばるさん
    ありがとうございます。当時の私は未熟で、必死だっただけです。

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