孤独だった末っ子
17年前、子どもが通っている小学校でPTA事務の仕事をしていました。
次男が小学5年生の時から
末っ子が卒業するまでの9年間勤務していました。
末っ子が、4年生の時、上の3人は家から出ていて
私と二男と末っ子の3人だけの生活になりました。
その頃から、生活保護の受給額がどんと減りました。
これは受給を辞退して、ダブルワークした方がいいなと思ったので
9時から14時までは、小学校で働いて
15時から19時30まで、コールセンターで働きました。
帰宅は、毎日20時30分ころ、それから夕飯の準備だったので
簡単な夕飯でも、いつも21時頃でした。
二男は、夜勤のバイトだったため、時間が合わない状況
末っ子も小学校のサッカー部に入っていて、帰りは片付けとかしても
19時頃だったので、問題ないと思っていました。
ある時、サッカーで足を捻挫して、しばらく練習に行けない時期がありました。
私が小学校に出勤した時に、保健室の先生から
「〇〇君、最近ずっと保健室のいることが多いです。心当たりありますか」と聞かれ
私は、ハッとしました。
もしかしたら、一人で遅くまで留守番するのが
さびしくて、心細いだなと思いました。またまた心が痛みました。
私は、何かいい方法はないか考えました。
本当なら、PTA事務を辞めて1か所で8時間働いた方がいいと思いますが
私は、子どもが安心できるように、いつも家の近くで仕事をしていました。
だから、まさかこんな風になるとは思わなかったです。
でも、足を捻挫していることもあり、一人で心細かったんだなと思いました。
兄弟とは、年が離れ過ぎているので、一人っ子みたいなもの
それで、二男がバイトの時間を調整してくれることになりました。
私が帰るまでに、夕飯を末っ子に作って、食べさせてくれることになり
それまでは、家にいてくれることになりました。
だから、また安心して仕事に行けることになったので
ホッとしていました。
私の心はボロボロ
しかし、そのうち、私がダブルワークがきつくて、きつくて
土曜日なんかは、コールーセンターの事務員から電話がかかってきて
「忙しいから、早めに出勤できませんか」とたびたびでした。
私は、いつも断れずに、早めに出勤しました。
それなのに、私が熱があった時に休みたいと連絡すると
「熱が下がったら、出勤してください」体調が回復せず、連絡しないでいたら
何時間後かに催促の連絡があり「未だ、直りませんか」といったぐあいです。
どれだけ、人をこき使うつもりなのかと腹が立ちました。
残業要請もたびたびありました。クレームも多く。ある意味ブラックでした。
あれから、私は精神的に参りました。
もう、コールセンターを辞めたいと強く思いました。
でも、生活保護も辞退したし、生活はどうする?と悩みに悩みました。
私は、父親の役と母親の両方をして、家事も子育ても、仕事もしているのに
なんで、私ばかりこんな大変な目に合うの?
なんで?なんで?って思いました。
苦しいことばかり起きるので
その時は、元夫を本当に恨みました。
その時の私の心は、ボロボロでした。
それから、3か月ほどでコールセンターを辞めました。
二男も県外に行くことになり、末っ子と2人になって
家賃の安いアパートに引っ越しをして、生活コストを下げて
母子家庭の手当てをもらいながら、なんとか末っ子が
小学校を卒業するまでは、PTA事務の仕事をして
その頃にも、ちょっと上の子たちが助けてくれたので、なんとかなりました。
末っ子が、中学校に入ってからフルタイムの仕事をしました。
さすがに中学校だと、留守番もできるようになったので
安心して、仕事ができるようになりました。
中学校は、外部のサッカークラブに入っていて
練習する所が少し遠くて、自転車で往復していたので帰宅が遅く、私の方が先でした。
小学校のうちは、夜は親がいないと心細いと思います。
私は、子どもにさびしい思いだけは、絶対にさせたくなかったので
常に家から近い職場をみつけていました。
それが、私が子育てで一番に心がけたことでした。
これからは、リモートワークが増えて、家に居ながら仕事ができる
ようになるのでしょうね。
そうなると、親も子ども安心ですね。
では、本日もお読みいただき、ありがとうございました。感謝いたします。
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