母に感謝

家族
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子どもの頃から苦労

母の兄弟は、お姉さん2人、お兄さん2人と母の5人です。

母は、二卵性の双子の末っ子です。

母の父(祖父)は戦死で、母(祖母)は、双子出産後に亡くなったので

兄弟は、バラバラで育ったそうです。

双子のお姉さんは、母の代わりに養女に貰われて行ったので

母は、お祖母ちゃんと暮らしたそうです。

お祖母ちゃんも大変だったそうで

母も子どもの頃から、飴を作って売ったり、ベビーシッターをしたり

いろいろなことをして、働いたそうです。

生きるために、子どもの頃から働いていたため

学校に行けなかったそうです。

本当は、普通の子どものように、学校に行きたかったと思います。

でも、両親がいなかったので、生きるだけで精一杯だったようです。

母は、意地悪なおばさん(叔父さんの嫁)に、いじめられたこともあったそうです。

お祖母ちゃんにも言えずに、辛くて夜中に、両親のお墓に1人で言って

「私も、お父さんとお母さんの所に行きたい。一緒に中に入れて」と

お墓の前で、泣いたこともあったそうです。

お墓に夜中に1人で行くとは、よっぽどだったと思います。

この話を聞いた時、私が

「よく1人で、お墓に行けたね」と言ったのですが

母は「自分の両親が眠っているから、怖くなかった」と言っていました。

強いなと思いました。それほど、毎日が辛かったのかもしれません。

子どもの時から、凄く苦労していたので、結婚して幸せになりたかったと思いますが

父と結婚しても、苦労していました。

離婚したいと、ずっと思っていたそうで

私が20歳になるまで、我慢して待ったそうです。

母が、私に「私は、子どもの頃から苦労してきたから

これ以上苦労したくない、私にも幸せになる権利がある」と、強く言っていました。

私が20歳の時、直ぐ下の弟は16歳で、妹は13歳、一番下の弟は11歳でした。

私は、大人になっていたので、理解できましたが、弟たちは、嫌だったと思います。

でも、母はこれ以上、待てなかったと思います。

だから、私は賛成しました。

弟たちは、あとから少しずつ、理解していきました。

最高の再婚相手

そして、母は40年前の40歳の時に、今の父と再婚しました。

義理の父は、初婚でしたが

4人の子連れと、よく再婚してくれました。感謝です。

母を、とても大切にしてくれています。

もちろん母も、義理の父を大切にしています。

母は、料理が得意で、作ってあげるのが好きです。

義理の父は、母の手料理が一番好きなようで

食べている時が、一番幸せそうです。

そして、義理の父は

私たち兄弟にも、私の子ども達や、妹の子ども達にも

本当の父親以上、子ども達を本当の孫以上に、可愛がってくれました。

そんな優しい人です。

母が、やっと幸せになって、みんな安心しています。

そんな状況ですが、ひとつ問題があります。

それは、母が今までの苦労から、爆発したのかもしれませんが

優しいことをいいことに、義理の父に言いたい放題言います。

ちょっとすねることもあって、もう知らないといいった行動をとったり

まるで、子どもみたいです。

そんな態度をみて、私たちが、母を叱ることもあります。

でも、ありがたいことに、義理の父が大人なので

言わせておけと言ったような様子で、母を見てくれています。

本当は、母もわかっていると思いますが

もう少し、 考えて欲しいものです。

母の良いところ

まだ、私たちが子どもの頃、大阪に住んでいた時のことですが

同じアパートの1階に、母子家庭の親子が住んでいて

子どもは、男の子が1人でした。

その子のお母さんが、夜の飲み屋の仕事をしていて

男の子は、毎日1人で留守番していました。(当時6歳くらい)

ある夜、男の子が泣きながら、家を飛び出したことがあり

私の母が、様子を見に行ったら、睡眠時遊行症(夢遊病)のようだったそうです。

睡眠時遊行症は、いわゆる夢遊病のことで、眠っているはずなのにベッドから起き出して、何かしらの行動をとる障害です。通常、夜間睡眠の初めの3分の1の間で発生します。深い眠りに入っている時に、周囲が無理やり覚醒させると、症状が生じることもあります。特に子どもでは、その現象が著しく見られます。一般に4~8歳の間に発症し、最も頻度が高いのは12歳前後です。子どもの10~30%が睡眠時遊行エピソードを1回以上経験しており、2~3%は何回も経験するという報告があります。(ネットより引用)

母が、追っかけてこの子を連れ戻して、家まで連れていたそうです。

そういうことが、たまにあったそうです。

だから、時々うちに呼んであげたりしていました。

子どもが一人で留守番なんて、心細くて寂しいかったと思います。

そして、私の母は、自分の子どもと近所の子どもも一緒に

よく電車に乗って、奈良とかいろいろな所に遠足みたいに

お弁当を作って、連れて行ってくれました。

それが、その男の子には嬉しかったようで、自分の母親に

「〇〇さんとこのおばさんに、いろんな所に連れていってもらったけど

お母さんには、どこも連れてもらってない」と

大きくなった時に、言っていたそうです。

その子のお母さんから聞きましたが、ちょっと可哀そうでした。

お母さんは、子どもを育てるために、必死に頑張っていたのですから

とてもショックだったと思います。

でも、今はきっとお母さんに、感謝していることでしょう。

私も、子どもが小さい時に、たくさん母に助けてもらって

凄く感謝しています。

これからも、健康で長生きして、父と仲良く暮らして欲しいです。

「お母さん、いつもありがとう。感謝しています」

では、本日もお読みいただき、ありがとうございました。感謝いたします。

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